「自らのブランドにふさわしい契約をしたい」←結論 

下交渉で決裂、ノリFA移籍でハムへ

シーズン中に「ドラゴンズに骨を埋めるつもり」と話していた中村紀が急転、FA宣言することになった。本紙の取材に「中日ドラゴンズ落合監督には拾ってもらって感謝してます。でも、僕にもここまで一線でやってきたプライドはある。いろんな思いもあるし…。FA権を持ったまま終わるのもいやだし、残りわずかな野球人生。家族とも相談してもう一度、頑張ってみようということに決めました」と胸の内を明かした。

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お前はオリックス首になったときも同じこと言ってたな。

中村ノリまとめ(参照元はほぼWikipediaClub-NORIrar

 2002年:「中村紀洋というブランドをまず考えて、近鉄で終わっていいのか」ということでFA宣言。
     「天秤にかけてFAを楽しみたい」と発言もFA宣言し最終的に残留(4年20億)。
     メッツ移籍予定だったが、HPで先に発表され以下のように発言
     「自分は礼儀とか筋道を大切にする人間。ルール違反する球団とは契約できないし、許せない」


 2004年:近鉄消滅。分配ドラフトではさすがにオリックスが保持するもポスティングでメジャーへ。
     4年契約の2年目を終えた時点で球団が消滅してしまったため、残りの契約期間の年俸(2年分10億円)に相当する保証金を大阪近鉄に要求する。


 2005年:マイナーで罰ゲーム(本人談)
     「成績を見れば一目瞭然、トップクラス。何故マイナー落ちなのか納得出来ない」
     「イチローマイナー契約ならメジャーには上がれなかった」
     ※本塁打こそリーグ17位の22本だが、打率.249は規定打席を満たした選手90人中85位、チーム最多の20失策を記録


 2006年:「帰ってきたで」というキャッチコピーのポスターが製作。清原との共演(リハビリルームで)が話題となる。
     この冬の契約交渉で本人は「公傷」扱いを求めたが球団は60%減の8000万円を提示。
     ※ノリさんこの段階で2億円プレイヤーですが328打数76安打12本塁打(打率.232)の成績。
      同じくプロリハビリストの清原さんは確かほとんど下がらなかった気がする。
      交渉では「スター性を考慮して欲しい」と発言


 ■以下、きれいなノリさん
 2007年:オリックス退団。各首脳陣のコメント(総すかん)
     ノリ「日本中、どこでもいい。手を挙げてくださった球団のために力を尽くし、優勝に向けて必死で頑張る。年俸はいくらでもかまわない」
     ▼日本ハム   獲りません。(小笠原の穴も)若手を育てていく球団の方針にそぐわない(藤井球団社長)
     ▼西武      打診はされた。三塁手が多いので消極的。自由契約後検討する(黒岩球団代表)
     ▼ソフトバンク  ウチは全くないよ (角田球団代表)
     ▼ロッテ     保有権があることなので今の段階では何も言えない(瀬戸山球団代表)
     ▼オリックス  何を言ってるのか不明(機谷球団代表)
     ▼楽天      球団の育成方針、ポジション的なこと、 去年の故障のことを考えると可能性はない(山下編成部長)
     ▼中日      現場とは(獲得しない)コンセンサスはとれている(西川球団社長)
     ▼阪神      3割5分、50本打つなら素行面に目をつぶることもある(岡田監督)
     ▼ヤクルト    あんな選手いらない(多菊球団社長)
     ▼巨人      いらん(渡辺恒雄元オーナー)
     ▼広島      うちはまったく興味がありません(松田元オーナー)
     ▼横浜      うちは(獲得に)参入しない。ベンチに置いておくのは失礼(村上運営統括)


     ※ヤクルトは古田が獲得を要請したものの、球団社長が拒否。
      岩村がメジャー行ったのでサードは開いているが結果的に飯原が育った

     最終的に育成枠で中日が獲得、年俸400万円。
     日本一に貢献、日本シリーズではMVPを獲得。
     11月30日に行われた中日との契約更新では、3月の新規契約時より733%アップとなる年俸5,000万円の提示をうけた。
     記者会見では「契約してくれるだけでもありがたい。額を見ずに判を押すつもりだった」と述べた



ここまで読んでもう一度はじめの発言を読んでみよう!

シーズン中に「ドラゴンズに骨を埋めるつもり」と話していた中村紀が急転、FA宣言することになった。本紙の取材に「中日ドラゴンズ落合監督には拾ってもらって感謝してます。でも、僕にもここまで一線でやってきたプライドはある。いろんな思いもあるし…。FA権を持ったまま終わるのもいやだし、残りわずかな野球人生。家族とも相談してもう一度、頑張ってみようということに決めました」と胸の内を明かした。


この先どうなるか見ものですね!