努力と運と、計画性が大事という話。

今日、部下からの報告を受けたのですが、
こちらが上手く伝えられないせいで、いつまでたっても計画性がなく
場当たり的な対応を繰り返している・・・。

そのときに頭をよぎったのがこの話。
(真田さんは基本的にたとえ話はスポーツです)



昨年をもって引退した、赤き皇帝シューマッハことアゴ兄。
F1で記録をほとんど塗り替えた彼が、はじめは期待されてなかったということを知ってる人はあんまり居ないと思う。

F3時代は「フライング・フィンミカ・ハッキネンの方が評価されていたし
メルセデスの育成プロジェクト時代は三羽烏と呼ばれた中では
一番評価されていたのはヴェンドリンガー。一番速かったのはフィレンツェン。
もちろん若手の中では将来を嘱望されてはいたが、もっと期待されていた人がたくさん居た。

が、フィレンツェンは計画性がなく、「F1の早道」と目先の判断で国際F3000→全日本F3000(いまのフォーミュラニッポン)とわたったおかげで他の二人より3年デビューが遅れる。

フィレンツェンの速さを一番認めていたのはほかならぬシューマッハ
F1初参戦のチーム、なれないセミオートマという厳しい条件にもかかわらず、
デビュー戦、予選5位だったことは周りを驚かせたが、それを見たシューマッハ
「もっと上に来ると思っていたのに」という意味の発言をしている。
またセナも「自分の後継者には彼を」という発言をウィリアムズでしていたという話が残っているぐらい。


もちろん彼が実力に比べて成績を残せなかった理由は、他にもあると思うが
その遠因としては「計画性のなさ」が挙げられると個人的には思う。



一方、「運」とは。
これは三羽烏のもう一人、「眉毛ホームストレート」ヴェンドリンガー。
彼もメルセデスでは一番評価されていたため、ザウバーに乗ったが、あの1994年。
ラッツェンバーガーとセナが死亡事故を起こした次のモナコGPにて大クラッシュ。
意識不明の重態で「意識が戻ることはないだろう」と言われたが、奇跡の生還。
しかし、翌年のシーズンでは以前の速さは消えうせていて、自分でも「何で速く走れないのかまったくわからない」というような発言もしている。
結局、その年でF1は引退することに。
そのため、「命と引き換えに速さを失った」といわれることとなった。


シューマッハがどういう選手でどう過ごしてきたかはご存知のとおり。
昨年で引退するまで、F1のあらゆる記録を塗り替えて着ました。
そこには高いプロ意識と、強烈な自己管理と、手段を選ばず勝つ可能性を高める努力、行動がありました。
もちろんすべていい方向には行きませんでしたが。


・・・えーと、何の話だっけ?
ああ、そうそう。実は真田さんはシューマッハが大嫌いって話でしたっけね(違

まあでも結果を残すことの重要さと、結果を残すにはやっぱり理由があり、
それも才能だけじゃダメだってことが言いたかったんですよね。

おかしいなあ、はじめはV卿みたいにいい話を書くつもりだったんだけどな・・・




※余談ながら、彼が塗り替えたF1の記録はほとんどすべてにいたりますが

チャンピオン獲得数歴代1位(7回)・・・ファンジオの5回を2003年に更新
チャンピオン連続獲得数歴代1位(5回) ・・・ファンジオの連続4回を2004年に更新
優勝回数歴代1位(61回) ・・・プロストの通算51回を2001年に更新
ファステストラップ回数歴代1位(75回) ・・・プロストの41回を2001年に更新
ポールポジション回数歴代1位(68回) ・・・セナの通算65回を2006年に更新

実は、ひとつだけ破られなかった記録があります。
それは通算レース出走回数。「二百戦錬磨の男リカルド・パトレーゼの256戦出走。
しかしそれも今年出ていたら更新していたのだから、恐ろしい。