なんのフラグだ・・・この背番号・・・


とりあえず、放送がなかったインテル戦以外、開幕ゲームの3試合を見ました。

カターニアジェノア(1−0)

日曜の昼開催の試合、次男とどっちみようかなと思ったけど、
森本でるかなと思ってカターニア戦を見ました。
森本は残念ながらベンチ入りはしたものの出ませんでしたが、大型補強したジェノアに押し込まれながら、
カターニアが少ないチャンスをものにして見事勝ちましたね。


一方そのころ次男は、ヌマンシアに1-0で敗れていた。バルサ、レアルともに黒星スタート(livedoorスポーツ)
うわー見なくてよかった・・・・




ヴィオラxユーベ(1-1)


開幕戦からビックカード。
ユーベもヴィオラも面白い補強したので期待してましたが、面白いゲームでした。
ただ、ヴィオラはサイドをつかえていたのですが、結局ジラがそれにはなかなか合わせられず、
決め切れないまま疲れたころにユーベが一発決めて先制してしまい、
さらに退場で少なくなって終了かなと思ったのですが、
がんばっても結果がでなかったジラが最後の最後まであきらめず、値千金の同点ゴール。
ごちゃごちゃしたところを必死にキープしてゲットした綺麗なゴールではないですが、
後がないジラの執念を感じましたね。
ムトゥが復帰したらうまく使ってくれるんじゃないかなー。


開幕の大一番はドロー



ミランボローニャ(1-2)


昇格チーム相手にホームで先制されて、同点に追いついたあと逆転されるって・・・


スタート時はカカがいなかったので、ピッポ1TOPのクリスマスツリーで、カカの位置にロニー。
ずっと真中にいたので、たまにピッポにいいスルー出す程度で全く怖くなかったですね。
中央にいて機能しないのはバルサのときに証明されてたのにね。
後半よくなったのは、投入されたシェバがよかったのではなく、
左の外にロニーが移動したから。
ザンブロさんがガンガン上がってくるので前後から挟めなくなり、
1on1の場面が多くなったからですね。あまり突破ができなかったですが、
ピッポのいい飛び出しもあって、おしいシーンが出てきました。


ただ、シェバを入れた時に交代したのがヤンクロで、なんとフラミニサイドバックに下げてしまったため、
カウンターを食らったときに中央のプレッシャーが薄くなり、また最終ラインがセンターの二人で守る展開となり、
ディバイオのスピードに全くついていけないおっさんが二人(それでもマルディーニはさすがのカバーリングでしたが)。
アンブロジーニは前半から上がりまくってたうえ、後半は中盤の守備を一人でやることになり全く消えてしまい、
挙句プレッシャーかけられずいいミドル打たれて失点。
フラミニは中盤の右にいた前半は前線からプレスしたりいい動きしてたのですがね。


「攻撃は補強選手がある程度働いただけで十分怖いけど、守備、特に最終ラインとGKがダメだから怖くない」という予測が
少なくとも開幕戦はぴったり合った状況ですねぇ。


ミラン、開幕黒星。ローマもナポリとドロー。ローマもトッティいないときついっすね。



で、インテルもようやくクアレスマ決定

必要な最後のピースがそろった!これで勝つる・・・って


>背番号 7 7 番 に決定


・・・新77番様とお呼びすればよろしいか?

※注 77番様伝説

77番様伝説
ミランユース出身で豊富な運動量とタフな守備から「マルディーニの後継者」と目される。
イタリア代表にも選ばれ、2002ワールドカップにも出場。韓国戦では頭に包帯を巻きながら懸命にプレーする。
バルセロナにレンタル移籍。練習のとき、足元の技術がお粗末すぎるのがバレて、クライファートなどに「見ろよあのヘタクソ」と笑われる。
それでもバルサはお気に入りのようで、ワールドカップの最中もイムノを大声で歌い、同部屋のヴィエリに「うるせえぞ!」と怒られる。
セードルフを欲しがったミランがルイ・コスタとの交換トレードを打診するが、当時のインテル監督クーペルは左サイドの補強を希望。インテルへ電撃移籍。
大いに期待されたものの、ふがいないプレーの連続にインテリスタからもブーイングを喰らうようになる。ユースのパスクアーレにポジションを奪われる。
怪我とリハビリと夜遊びのニュースしか聞かないのに、なぜかインテルが契約延長。「最後の一年は無給でもいい」と意味不明なことを言い出す
イタリアのどっきりカメラでマフィアに脅かされて、「こわいよ〜いやだよ〜」と泣きながら逃げようとする。助けを求めるお姉ちゃんを思いきり見捨てる。http://www.youtube.com/watch?v=ifzWI1Wt9Pw
完璧にマンチーニの構想外になり、イギリスにテストを受けに行く。マンCでは練習場にタバコくわえて入ったの見られて「帰って」と言われる。新城ではユニもらって親善試合にまで出場するが結局不採用。
「今年こそ復活してみせる」と意気込んだ07年夏、キャンプ入り前日にディスコで女の子をナンパ。部屋に連れ込んだところで彼女が帰宅。怒ってナイフを振り回して暴れる大騒ぎになる。
「イタリアはパパラッチが多すぎて、サッカーに集中できない」と海外移籍を狙う。フランスのサンテティエンヌでメディカルチェックまで終えたところで突然破談になる。
ついに現役を引退。第二の人生は映画スターを目指す。